ほんとうにもう何もかもどうでもいい

銭湯やらいろんなところに自転車やら自分の足で走って行ったことなどを書きたいですね。

2018年6月の大阪・鶴見の中国人朝市

残念なことに壊滅状態だった。

 

道路で朝市を開くのがよろしくない、ということなのであろうか。であれば、千葉・勝浦の朝市はどうなのだ。

朝市は壊滅していたが、店としては2軒、そこにあった。盛況だった。

1軒が野菜や肉の類を、もう1軒が加工食品を売りつつ、店内にテイクアウトした揚げパンや麺類を食えるコーナーがしつらえてあった。

店同士で棲み分けている?いや、資本は同じなのであろう。

中国人の客のオーダーに応じて、中国人の店員がさらに肉をぶつ切りにしていた。

天井吊りの枝肉から部位を切り分ける光景ですら、わが町足立区の鹿浜にある某肉屋でいつだって見ることができる。

中国人であるならば、モーモーさんをそれこそ屠殺するところから見せてくれよと声を大にして言いたいデスね。

赤字で書かれた漢字だけでも、言いたいことはわかるな。

それでも道端ではオバちゃん露天商が強行出店していた。もっとも、僕が引き上げる頃にはおまわりさんによる監視のもと、撤収寸前だったが。

そういえば、僕の胃袋はというとネカフェで無料モーニングを乞食したっきりだった。それでも揚げパンは辛く思えた。(ダイエット中)

蒸し饅頭を買ってみた。100円だったか。

おにいさんによるタコスっぽい食い物を手際よく作る様子を眺める僕に、わりと可愛らしい、鮮やかな共産レッドTシャツを召されたおねいさんが「これ、美味しいよ」と一言。赤いソースがピリッと辛口で、なんとも食欲を誘うのだと。朝市に来るたびに買って帰ると言う。

それならば、と買ってみた。350円だったか。

そのおねいさんもやはり中国人だった。僕とはもちろん日本語で話をしたが、店員のおにいさんと話すときは中国語だった。品をやりとりする際の定型的な会話に加え、雑談も交わしていたようで流暢な中国語だった。聞き耳を立てるも、何を話していたのかさっぱり見当がつかなかった。

蒸し饅頭とタコスのようなもの。どうせだからと店内の飲食スペースで食うことにした。飲み物も買った。

飲み物は水が売られていたが、水を選ぶという選択肢はなかった。缶の飲み物であれば、何かが漂っていても目につかない。精神的によろしいとの判断である。(天才)

肝心のタコスの味は不味かった。

粉もんの皮が臭かった。具の野菜が臭かった。噛むほどに口の中に広がるのは下水を彷彿とさせる、つまりはドブの香りだった。それが強烈すぎれば、本能のおもむくままにペッと吐き出して、手にした残りの汚物をなんの後悔もなくポリバケツのゴミ箱にスローインするのだが、そこまでではないのが憎かったし、悔しかった。

そのドブ臭をおねいさんが食欲を誘うというピリ辛のソースが打ち消して、願わくば食える代物にしてくれると幸いだったが、これがまったくの期待はずれの代物だった。

ただただ辛いだけだった。色で例えるのなら、日本車("Fuckin"JAP Car)ののっぺりとした、貧乏くさい赤だ。けっしてFerrariの奥行きと深みを感じさせる高貴なRedではなかった。辛味の中に顔を覗かせる旨味など皆無。舌をいたずらに刺激するだけの辛味は食べ物に関しては仏の僕をハゲしく苛立たせた。

食ってはいけないと体が拒否反応を示すドブ臭と、てんで実力不足の自惚れた辛味がお口の中で大喧嘩ダヨ。

人を泣かせる食い物がここ大阪・鶴見にあった。

このお茶も…甘いのはいいのだが、単調な甘さでなア。

食いっぱなしではないが、「立つ鳥跡を濁さず」を知らない中国人ども。

こちらからは以上だ。