ほんとうにもう何もかもどうでもいい

銭湯やらいろんなところに自転車やら自分の足で走って行ったことなどを書きたいですね。

こんな世界に誰がした

5月のこと。取引先との打ち合わせのため、四国・高松に行った。

打ち合わせは首尾よく、午前中のうちに終えることができた。お客様は香川県庁裏にある「さか枝」に僕を連れて行ってくださった。一人旅で食したとき以上に美味だった。

 

「四国村」のかずら橋をジャケパン&革靴、ブリーフケースを片手に渡った。

昨夏より手がけていた仕事は後は流れに任せるだけ。つまり、高松出張、前夜の呑み、打ち合わせ後のうどんをお客様上司による僕への慰安の意味だと捉えると、うどんの味はなにやら寂しい、塩っぱい味がした。

望まない、ほぼ派遣のような今の身の上。仕事の完遂=再度放浪の始まり、か。

高松の時間は東京のそれよりも穏やかに流れていた。

その仕事は「流れ」にのって、予定どおり9月に終えた。

高松空港にはうどんダシが出てくる蛇口があるんだぜ!」と言って、嬉々として僕を案内してくれたお客様上司は先日昇格の内示が出たという。良かった。*1

僕はというと、同じお客様の次の仕事にアサインされた。

次にやりたいことのための準備を粛々と進めなければならない。今のお客様に仕えることはその準備に直結している。

身の上からくる不安を常時抱えながらも、事を進めたところでやがて確実に訪れるこの綱渡り的なスリル。目的があるからこそ乗り切れる。いや、乗り切れるのだろうか?

*1:ちなみにうどんダシは「売り切れ」だった。お客様上司は何度も高松空港に来ているが、飲めたためしがないという。