ほんとうにもう何もかもどうでもいい

銭湯やらいろんなところに自転車やら自分の足で走って行ったことなどを書きたいですね。

僕が「ジャップはノータリン」と断言するに至るひとつのエビデンスと僕が思うこと

東京メトロ千代田線の北綾瀬駅高架下の工事現場。わが町足立区の小学生が書いた絵が貼られていた。思わず、我が目を疑ってしまった。それはなぜか。

 

お気づきだろうか。 

そう、すべて同じ「テイスト」「書きっぷり」なのだ。

正直、気味が悪いと思ってしまった。

6月に訪れた大阪でも、再び僕は我が目を疑うのだった。その場所は大阪メトロ四つ橋線北加賀屋駅の地下通路。

教育が画一的すぎるだろ、ノータリン・ジャップどもよ。いや、ノータリンが故か。

一方で、こんなもんだろうなとも思う。今どきの公立小学校の教師なんて、Fラン大卒ばかりだというし。それはつまり、人並みにお勉強ができない連中が教育に携わっているということだし。鳶は鷹を産むわけねえだろ、ぜったい。アホか。

教育には金がかかる、学歴と年収は相関があると言われて久しい。

僕は底辺だ。だから、僕は子どもを持ってはならないのだ。おまえらと僕が明確に異なるのは、このことをきちんと理解し、実行しているかどうかだ。