大事なことなので何度も言うが、気仙沼の友の湯さんは「泊まれる銭湯」なのである。
この「家族風呂」の矢印が指し示す扉が部屋の入口。元は家族風呂だったスペースを泊まることのできる部屋に改造したという訳である。震災時はボランティアの人で満室だったとのこと。
BD-1ちゃん号は入浴時、この場所に置かせていただいた。宿泊時にはご主人のご厚意で、扉の内側に置かせていただいた*1。安心して一夜を過ごすことができた。
こちらがその家族風呂を改造したお部屋。広さにして4畳弱といったところか。
戸を開けてすぐのところに薄型小型液晶テレビが置かれたおこたがありまして…
引き戸の向こうが一面、ふかふかのおふとんで敷き詰められていた。このおふとんのスペースがお風呂だったのだな、と容易に推測できる。水場だったゆえのカビ臭さはまったくなし。言われなければ、ここが元お風呂だったとはわからない。
さらに言えば、部屋全体として、埃っぽいとか髪の毛が落ちているといった不潔感を催すものは皆無だった。ご主人は元不動産業に携わっておられたとか。そして、今はお風呂屋さんを営んでおられる。不快感を感じさせないノウハウ、清潔さへの注力は至極当然かつ納得のことである。
この窓から見える景色は漆黒で、ただスナック「オルゴール」の看板だけが黄色く輝いていた。おぼろげながらも、熟年の男性と女声の楽しげな歌声と嬌声がかわるがわる聞こえてきたが、まったく不快に思わなかった。むしろ、旅情を演出するのに最高の要素であった。
ぬくぬくと暖かいおこたは人をダメにする。うっかり30分くらい、ダメになってしまった。
旅行先の宿と捉えると非常にコンパクトに思えるが、それくらい落ち着く空間であった。
僕の部屋の広さだって、こんなものだ。まだ自転車2台をラックを使って置いている分だけ広いか。それにしたって居住空間はほんとうに瓜二つだ。シングルサイズのおふとんを敷いて、机と椅子。ただそれだけ*2。
旅先で腹が減って、夜中に目が覚めてしまうことほど酷なことはない。大川を渡った先が比較的栄えているらしく、BD-1ちゃん号を走らせたが、気仙沼の街は想像以上に夜が早かった。
やむなく、ミニストップのイートインでカップラとおにぎりを食した。旅先ということで無職であることを忘れて、おにぎりをひとつ、贅沢にアドオンしてみた。
泊まれる銭湯*3こと、友の湯さんに戻ってきた。
戻ってきて、真っ暗がりでは寂しいことと防犯面を考慮して、おふとんがあるところだけ明かりを灯しておいた。押入れのドラえもんの寝床をつい想起してしまった。
この後、共同の流しで顔を洗い、歯を磨いた。NHKの1日の最後のニュースだけを見て、寝床についた。一度も目を覚ますことなく、翌朝を迎えることができた。
チェックアウトはおこたの上に部屋を置いておくだけ。この手軽さシンプルさ。一人旅には軽快で、なんとも心地よかった。
友の湯さんにお泊りになられたい方は下記の公式ホームページに記載の電話番号に電話をかけてほしい。泊まりたい旨を伝えると優しいご主人がいろいろと手筈を教えてくださるはず。