ほんとうにもう何もかもどうでもいい

銭湯やらいろんなところに自転車やら自分の足で走って行ったことなどを書きたいですね。

あの日、僕が行った鶴の湯(渋谷区千駄ヶ谷)

再びの無職生活が1年を経とうとしていたときにBD-1ちゃん号で詣でた。

 

2016年の大晦日が最後の湯に浸かれる日だった。

湯のアイコンがこんなところにあった。とても良い。

東京体育館、国立競技場に至近。僕が訪れたその日はフットサル後と思しき、派遣ITドカタっぽい、いかにも幼稚そうな若リーマンたちがいたりして、ごった返していた。

ひときわ騒ぐ若リーマンたちを疎ましく思いながら、ひとり長湯を楽しんでいたら、どこかで見覚えのある方が入ってきた。

町田忍さんだった。

廃業後に立つアパートは旭化成ホームズによる施工。旭化成といえば、旭化成建材が起こした横浜のマンションの杭打ちデータ偽造事件が記憶に新しい。

僕がひとり暮らしした新築アパートは旭化成ヘーベルハウスだった。湯沸かし器がベランダの壁にしつらえてあって、2つ隣の部屋が湯を沸かしたら、その振動が僕の部屋にも伝って、それとなくグオオオオン…と音がしたのを思い出す。他にも2年と住まなかったのに、敷金+αを請求してきたり、いろいろあるが割愛。

町田忍さんが入ってくるなり、陣取ったカランは島カランの入り口からすぐの端っこ。

「湯船に近いほうの、特にいちばんは壁カランだろうと島カランだろうとそこは常連さんのカランだから」と、何処かの銭湯の公開ペンキ絵の解説で仰っていた。

騒ぐ若者たちに声をかけていた。歓談のおかげで、やけに騒々しかったお風呂場が、お風呂屋さんらしい穏やかな賑やかさに一変した。さすがでした。

鶴の湯さんは最後まで番台を貫き通した。ペンキ絵だってあった。脱衣場もお風呂場も中普請済みで明るく、掃除も行き届いていて清潔だった。

「現役感」たっぷりであっても、廃業となる銭湯を僕は何軒も見てきた。

湯から上がるとBD-1ちゃん号が倒れていた。