市川市国分の石乃湯さんまで、BD-1号でポタってきた。
わが町足立区の秘境のひとつ、西加平付近がクリアランスされていた
つくばエクスプレス六町駅のド駅前だけに、再開発の餌食となってしまうのはやむかたなしか。そのうちプラスチッキーな家々が立ち並ぶのだろうか。
ここは足立区。いくら都心直通の真新しい駅前といえども、高学歴・富裕層がわざわざ移り住む、居を構える場所だとは思えない。
安い家しか買えない付加価値のない「安い人」が買える、見るからに安っぽい家を安く作って安く売るだけの、今どきの新興開発会社・土建屋が儲かってウハウハウェーイ!な世界しか想像できない。
六町1丁目と4丁目のあいだの桜並木は残った。
あの青いトタン平屋建てに住んでいた人はいったいどこへ行ってもうたんや…。
江戸川左岸、堤防と高台のあいだ
農地、耕作地…ということなのだろうか。
土手沿いにぽつんと平屋建ての家々。畑のところどころにも家があった。
「青面金剛」が意味ありげに思えた。持ち帰り調べてみたら、なんのことはない庚申信仰の亜種とのことだった。
この案内所的な建物があって、土手を越えたところに矢切の渡しがあるんだな、と気がついた。
土手を越えたら、砂利道があった。その先が矢切の渡しだった。
手作り感にあふれていた。
強風で運行中止だった。
地名に「台」がつく場所は憂鬱(今さら)
石の湯さんに行くためには、この先のこんもりと緑が茂る国府台を超えなければならない。
みのり台、高輪台、白金台、麻布台、目白台、ときわ台、西台、平和台、富士見台、氷川台、桜台、高野台…。
目前の急坂も覚悟の上だったから、余裕で登り切ることができた。
登り切ったところにあったのは国府台天満宮。祭神は菅原道真公。
市営陸上競技場の向こう側にはチバ県が誇るFラン大学、千葉商科大学。
ここんちの入試受けたわ。アホが。
中1レベルの問題で、3教科ともに15分で解き終えて、寝ていた記憶がある。うん万円の受験料に、解答しがいのある問題ばかりであれば納得がいったが、その逆で馬鹿馬鹿しく思えたというか、情けなかったというか。
本当にキチガイを入学させたくなかったんだろうな。とはいえ、うん万円。
お金かえして!と叫びたくなる眺望がそこにあった。
中国・四川省楽山市出身の文学者・歴史学者・政治家である郭沫若(かくまつじゃく)氏は、昭和3年から約10年間にわたり、市川市の須和田で家族とともに暮らしました。その後、日本と中国の架け橋となる活躍をし、市川市と楽山市の友好都市締結のきっかけとなりました。
この「市川市郭沫若記念館」は、郭沫若氏の旧宅を真間5丁目公園に移築・復元し、整備したものです。
市川市|郭沫若記念館 : http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1541000031.html
閉館時刻を過ぎていたものの郭沫若記念館にも寄った。
市川市には、他にこの手のかつての住居系文化施設として、
水木洋子邸(http://www.tekona.net/mizukitei/index.php)があって、こちらも市川市銭湯ポタがてら行ってみたい。
芝桜の名所だとか。もう2週間早くに来ていれば、その芝桜を堪能できたらしい。
石の湯さんで1日早い菖蒲湯に浸かった。