土曜日。いつものように一路東へ。もはやルーチン。
サイタマ県八潮市と三郷市をビクビクしながら、かすめ走って…
水元公園を横断し、江戸川に出たもののどこへ向かうべきか迷ってしまった。あても思いつかなかった。
前日に新規インストールしたミッシュラン・pro4scの空気の入れ方が甘かった。特に前輪。ハンドルに体重をかけるだけでサイドが膨らんでしまう。適正空気圧の下限、6barにしたつもりだったがゲージを見誤ったか。
ちょっとした段差で鋭角的なショックを感じる。ホイールが歪まないか心配。その気があっても、もはや遠くに行けない。
やむかたなし。江戸川を渡り、松戸市のJR松戸駅のはずれをポタってみた。
江戸川とJR松戸駅に挟まれたあたりは、かつて赤線地帯だったという。その名は平潟遊郭。その名残を探してみたが、遊郭事情にさほど明るくない僕には見つけることができなかった。
それでも路地を覗けば、道路に面した家々よりさらに一世代二世代古い家々が見てとれた。建築基準法の接道義務で建て替えられないのだろうな。
『納屋川岸
銚子の鮮魚は船で利根川をさかのぼり、布佐等より駄送され、ここから船で江戸(日本橋)へ運ばれました。江戸時代 松戸の主産業は舟運であり、ここが重要な基地になっていま…』
…と、この塀の裏を期待して覗いたら、駐車場と東建コーポレーションが手がけていそうな安っぽい、コストだけを重要視した、ただのアパートが建っていた。
坂川。この先で江戸川と合流する。
よろしくと言われましても。
ふと、東京DEEP案内で読んだ池田弁財天のことを思い出した。そのうち見つかるかな、とフラフラしてみたが、そんなに都合のいいハプニングは起きなかった。
池田弁財天は宿題だな。
珍来かと思えば、珍楽か。個人店がテナントに入っていた古式ゆかしいアパートがあった。
駅前によくそそり立っている、階下に全国チェーン系テナントの入るタワマンもゆくゆくはこう味わい深くなるのかな。その頃には上階層の住居部はスラム状態になることは必定でしょう。今時点ですでにタワマン物件は「ババ抜き」の様相を呈しているという。楽しみである。
かつての豪農だったのだろうか…とにかく重厚感のある家。さりげなく立っている円柱形に整えられた庭の木もけっこうな高さかと。
馬橋駅のほうへ向かうことにした。
松戸競輪の東側。壁のように立つマンションとURの団地はその西側に坂川、東側に常磐線の線路があるから。その不穏な場所、もともとはなにがあったのだろう。
そして、このあたりから、自転車で常磐線線路東側に行くことがなかなか困難になる。
馬橋駅手前の横断橋で線路向こう側にようやく渡ることができた。その横断橋から馬橋湯さんの煙突が見えた。